Hey!Say!JUMPの中島裕翔氏が20歳年上の吉田羊との7連泊の後、泥酔して警察の御用になっていたことが、週刊文春の調べで判明した。4月1日のことだった。
もちろんエイプリルフールではない。「年上好き」の中島裕翔氏らしく、泥酔して抱きついた相手も、30代の女性だった。被害届は出ていないが、110番通報され、警察のお世話になった。
なお、みたま祭りでも激しく騒いで、警備員に注意されていたという。
ツイッター上では、「中島裕翔氏からなら抱きつかれても一生の思い出」「絶対に被害届なんて出したりしない」「間接的にJUMP!とハグしたのだから、めったにない体験」といったファンの声がある一方で、
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「ドラマから降板しろ」「とにかく禁酒しろ」など、女性に抱きついただけに、女性ファンが多いジャニーズならではの「女性による批判」も多そうだ。中には、抱きつかれた方を羨ましく思うファンも多いと思うが、中島裕翔氏がやったことは単なる痴漢行為である。
まあ若気の至り、酒癖が悪いということになるが、これまでに飲酒の結果、警察の御用になった有名人は、ジャニーズでは草なぎ剛氏の存在が思い出される。草なぎ剛氏の場合は、泥酔し、酔っ払った勢いで、全裸になり、公然わいせつ罪に問われた。
記者会見では、「謝罪」会見を行ったが、さらに、自身の番組や、メンバーの香取慎吾氏も謝罪するなど、メンバーに多大な影響があった。
7月からは、『HOPE~期待ゼロの新入社員~』(フジテレビ系)の主演が決まっている中島裕翔氏だけに、今後の行く末が気になるところだ。
また、飲酒の影響で事件といえば、同じく、泥酔し、服を脱いでしまった鶴瓶氏を忘れてはいけない。
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1局部露出 1975年 東京12チャンネル(現・テレビ東京)の「独占!男の時間」(生放送)で局部を露出し、何とカメラに局部を押し付けた。
1977年3月26日に肛門を見せる暴挙に出た。
2 尻焼き 1997年(平成9年)の夏 ダウンタウンの松本人志との女子アナスペシャル内での対決で敗北。その結果、尻に綿を乗せられ着火させられる。
3 泥酔暴走 1997年11月 テレビ朝日の27時間チャレンジテレビの企画内で寿司屋で飲み過ぎ泥酔。その後パンツを脱ぎそうになるなど暴走
4 泥酔生中継 2002年(平成14年) 27時間テレビ内の中継でパンツ1枚姿でカメラに尻を向けて泥酔状態で寝てしまうシーンが流れてしまう。
5 局部瞬間露出 2003年(平成15年) 27時間テレビにおいて局部を瞬間丸出しした事で後に高島彩アナが謝罪するはめに。後に鶴瓶も謝罪。
6 ラジオで暴走 2003年12月 ナインティナインの生放送のラジオ番組にゲスト出演。ナイナイの二人にのせられ、全裸になり暴走。
7 鉄のパンツ 2004年(平成16年) 前年の事件を受け、27時間テレビで鉄のパンツを履いた状態でウォーターボーイズのシンクロに参加した。8 鯖寿司暴走 2005年(平成17年) 27時間テレビの司会という立場ながら、冒頭企画で嫌いな鯖寿司を食べさせられそうになり、その後都内を逃走。
随時中継され、挙句の果てにはTBSにまでも逃げ、最後はココリコにフジテレビに連れ戻された(もちろん、この件は演出であり、そのことはこの後の件で明かされている)。番組のラストでは全身金粉パンツ一丁姿で、この年ライブドアによるニッポン放送・フジテレビ買収騒動を受け、本来のテレビのあり方や出演者やスタッフに感謝のコメントを述べ、青木さやか・高島彩までもを号泣させた。
参考:ウィキペディア
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真田丸5話あらすじ・ネタバレその3
そのころ京に着いた信繁は、信長の死を知ることになる。すぐに松のみに迫る危険を察知した信繁は、急ぎ安土に戻る。
信州真田屋敷には、昌幸が招集した国衆と軍議を開いていた。度々真田に反対してきた室賀正武は、信長が光秀に打たれることを見抜けずに、織田方に味方した昌幸を責め、以後昌幸の言いなりにはならないことを表明した。
ここで昌幸が国衆に示したのが、光秀から送られた密書だった。他の国衆には送られることのなかった、昌幸が焼き捨てさせたあの密書である。そこに記されていたのは光秀からの味方して欲しいとの要請であり、光秀が小県の惣代として自分を選んだのだと昌幸は大声で主張する。言葉を返すことができない正武に対し、昌幸は話を進めた。
昌幸 まずはっきりと申し上げる。信長亡き後の織田に、天下を治めるだけの力はない。よってわれら小県の国衆は、織田を見限ることにした。上杉につく。品のを狙う大名たちのなかで、我らが小県の値打ちを、まことにわかっておるのは上杉だけじゃ。これより我らは上杉の家臣となり、この小県を守る。
国衆との軍議をしていた昌幸は、すでに弟の信尹を上杉景勝のもとへ遣わしていた。上杉家の力を借りて、残存する織田勢を追い払おうとの魂胆だった。
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小県の北にはかつて武田信玄と上杉謙信が5回にわたって戦った、川中島があり、武田家の旧臣であった小県国衆たちにとって、上杉家はもっとも縁の深い大名だった。
上杉謙信から越後を引き継ぎ、4年を迎えた上杉景勝は、謙信の実子ではなかった。しかし、義に篤い性格は謙信にまさるとも劣らないものだった。
家臣の直江兼続が同席する中、昌幸から派遣された信尹と対面した景勝は、昌幸からの書状を見てこういった。小県を預かることは了承する。しかし、織田勢を信濃から排除することについては受け入れなかった。景勝はそういったのは、弱気を助け、強きを挫くのが上杉の家風、いま信長の死に乗じて弱っている織田税に攻撃を加えるのは家風に反するとのことだった。しかし、本音は織田軍4万に攻めこまれ、越中魚津城も陥落し、苦境に陥っていたからだ。信長の死によって助かったものの、とてもではないが、信濃に軍を派遣する余裕はなく、いわば瀕死の状態だったのだ。
小県を預かることは了承したものの、織田勢の駆逐には役立たない上杉を諦めようとする昌幸だったが、そんな時、織田方の滝川一益から招集されることになった。
信長から甲州の先方を任されていた滝川一益もようやく信長の死を知ったようだと感じた昌幸は、北条には不義理をしているので、北条に降るにしても、時間がかかると思い、しばらくは織田方にも顔を売っておくことが得策だとして厩橋城にいる一益に信幸と会いに行くことになった。
実際は、一益はまだ信長の死を知らず、信長が天下を統一する日も近いと信じ込んでいたのであった。度重なる戦闘に疲れたという一益は、昌幸によい湯治場はないかと尋ねるが、信長の死をしる昌幸はそんなのどかな一益にの雰囲気に、信幸ともどもあっけにとられるのであった。
一方で、京から安土に戻った信繁は、松が織田方の兵によって安土城内に連れ去られたことを知る。混乱の最中、三十郎、信誠と松を見つけ出した信繁は、松が放って置けないという20人の人質を引き連れ、、古い井戸から抜け穴を伝って城外へと逃げおおせた。
伊賀越を果たし、なんとか三河岡崎城にたどり着いた家康も命からがらの様子だった。
本能寺の変から2日たった。これから歴史は大きく動き出す。
真田丸5話あらすじ・ネタバレその2
本能寺の変で動揺する京から少し東の方に、真田家の人質松と、信繁はいた。琵琶湖に面した信長の本拠地・安土城下でのことである。本能寺の変があった当日は、都のある西の方向からは都で大火事が起きたということで、大勢の人が逃げてきていた。しかし、信繁が通りすがりの者に聞いても、誰も詳しくはわからなかった。そうしたなか、戦が始まったという噂を聞いた信繁は、不安を高めていたのだった、松を茂誠に託した信繁は、実際の状況を確認するために、京へと向かった。
一方で、まだ本能寺の変が知られていない信州・真田の郷では、払田柵米は妹の梅を、高梨内記は娘のきりを、信繁にそれぞれ嫁がせたいと考えていた。第3話で櫛をプレゼントされた梅と信繁は互いに惹かれ合っていたが、真田家と堀田家では、家格に差があり、梅は信繁との身分の違いに不釣り合いを感じていた。
方やきりも信繁に密かな恋心を抱いていたが、その思いは胸中にしまい、梅の援軍になろうとしていた。そうした中、きりの父、高梨内記は娘を真田家で働かせて欲しいと昌幸に願い出る。きりを真田家で働かせれば、信繁との縁談に繋がるかもしれないと思ったからである。父から自分を真田家の奥向きの役目につかせるよう願いでたことをきいたきりは、内心喜びに浸るのであった。
その直後、昌幸はお心中した織田信長が明智光秀に本能寺で滅ぼされたことを知る。にわかには信じられない昌幸だったが、張本人の明智方から、味方するよう要請する使者が来たことで真相を知ることとなる。真田の他の国衆にも知らせをすべく先を急ぐ明智の使者を強引に引き止め、書状を奪って他の国衆への連絡を遮断する。信長の死を他の国衆に隠そうとしたのだった。
光秀は昌幸をはじめとした小県の国衆に大師、味方するよう要請する使者を派遣したが、昌幸はそうした書状を内記に燃やすよういい、信長の死を国衆に隠したまま急いで彼らを集めるように言ったのだった。
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内記の前では冷静さを装っていたが、北条でもなく、上杉でもなく、信長にかけた昌幸は、この先誰につき、どう生き延びていこうかわからなかった。近畿一体、最大の勢力だった信長の死を全国の大名が知ることになれば、昌幸の周りだけでも、北条氏政、上杉景勝が、とおくを見れば、安芸、長門、中国地方一体を支配する毛利輝元が、四国一体を支配する長宗我部元親が一斉に立ち上がることは予想に難くなかったからだ。主君信長を失った織田家が、各地の大名を抑えられるかどうか、不安に襲われた昌幸は悩んだのだった。
小県の惣代としての、昌幸の次の一手は?
姉の松を茂誠にたくして、安土から京へ向かった信繁が目撃したのは、本能寺のある京から安土へ向かう光秀の軍勢だった。無論、信繁はまだ信長を光秀が滅ぼしたことは知らなかった。何もしらない信繁は、そのまま京へ向かう道を急いだ。
そのころ悩んで取り乱した真田昌幸は、冷静さを取り戻していた。そしてこのまま織田家に付き従うか、光秀の誘いにのるか、上杉家に世話になるか、北条に掛け合うか、どれが小国の主である真田家にとって最善の策となるか、思案する。
昌幸 いずれにしても、わしらのような国衆には、力のある大名にsがるしか、生き残る道はな。しかし、真田安房守昌幸、この荒海を渡りきって見せる。国衆には国衆の生き方というものがあるのだ。誰が最後の覇者になるか、しかとこの目で見極めて、食らいついてやるわ。・・・おもしろうなってきた。
昌幸の心配の種がただひとつあった。信長の人質として安土に差し出した松のことだった。信長を打った光秀の軍勢が安土入りし、信長の一族を人質にとることは明らかだったからだ。昌幸は佐助を安土へ急行させる。